平成29年11月1日 水曜日
朝一番で三雲先生の事務所へ。
ついにカウントダウン。
さあどこまでできるか。
大丈夫、一番大変な時に、私には神様がついているから。日曜日に神様にお約束してきたし。
久しぶりにゆきちゃんがお稽古に来た。実によいしつけのお家に育ったお嬢さんだと思う。
毎日少しづつ運ぶと効率がいいかも。引越当日は、大きな家具だけにして、細かいものは、リサイクルショップに出すなり、他の部屋へ持って行くなりするのがいい。
朝は英子さん、そのあと真理子ちゃんとイヌのわさびちゃんを連れた栗さん。英子さんはここへ来てから細くなったみたいと言っていたのでよかった。今日は見事に猫が全員寝ていたため、わさびちゃんと遭遇する子はいなかった。
猫好きなフランス人が二週間だけお掃除をやりたいと言ってきた。なんという幸せ。
朝、やっと斎藤ますこさんと連絡が取れた。これも本当に偶然だった。半年以上行かなかったのに、なぜかその日に神楽坂のお風呂屋さんへ行ったら、遭遇したのがきっかけ。南元町のいわくつきのワンルームの事情も理解した。結構リサイクル屋さんに持って行くものがある。フランス人のエミールが本当に来てくれた。これで、モーリッツも久々に休める。。
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日系ブラジル人4世のフーゴさんが来日した。いやあ、強烈。30歳。うちで1か月お手伝いするだけのためによく来日してくれた。週に2日は休みだから、最後にまとめて休みを取って、京都旅行に行ってもらう。
ブラジル人フーゴさんとは、結局何後でも会話がなりたたない事実を思い知る。
これからは、決定する前に十分な連絡を取り合うことで確認しないといけない。以前、トルコ人に、ドイツ語能力が不十分だからと断ったことがあったけれど、この人の場合は、多分、グーグル翻訳を使っていたのだろう。まさかこのレベルとは想像もできなかった。まあ、心根はいい人なので、これは天使が来てくれたと思うしかない。エミールみたいな、気が付く人がこれで帰国してしまうのは、本当に悔やまれる。二人を連れて、神楽坂にお寿司を食べに行く。
5時間あまり、靖国通り界隈をさまよっていたフーゴが夜事務所にやって来た。信じられない。こんな人って存在するんだ。30歳にして初めてブラジル以外へ行ったとのこと。この一カ月で多くを学んで帰るだろう。
その5分あとに入って来たモーリッツは号泣していた。お母さんが交通事故でベルリンで昏睡状態。明日、帰国するという。
京都や温泉、いろんなプログラムが詰まっていたから、さぞかし残念だっただろうけれど、また6月に来ると言っている。モーリッツには世話になった。感謝している。
モーリッツは、空港へ行く前の数時間、手伝いに来てくれた。助かった。そういうところ、本当に気がきく。フーゴだったら、そういう機転はきかないだろう。モーリッツは長くいただけあって、マリカ組になっていた。お母さんの回復と、再開を願うばかり。
私は人を待つことができない。自分のペースでどんどん進んでしまうから、人がついて来られない。
坂町から弁天町へ歩くなんてこととてもできない。まして、自分が自転車に乗っているのにそれに付き合うなんて、まっぴらごめん。私は人の何倍も生きないといけないので、普通のことは、倍速でやらないとならないだけ。
来週の土曜日のお稽古が、天井照明付きでやる最後のお稽古だと言ったら、一同びっくり。やはり、自分のお稽古場を7年間とはいえ、持てたことに感謝する。
人生、いろいろな場面があり、引越しはそれぞれに、いい意味で、人生に多くの思い出をつくってくれる。
ここでないとできないことがあった。そのかわりに、ここだからできなくなったことだって、あったのだ。例えば燕の親子との別れ。あれは、かなり辛かった。
ここの蜂とも別れるけれど、市ヶ谷で豊富な緑を育てるから今以上に、昆虫が来るはず。なくなるものより、得られるもののことを考えた方がいい。
朝、フーゴとルーテル教会へ行った。日本の教会は、おとなしい、ゆっくりした歌を歌うのだねと言っていた。ブラジルの教会は、エレキギターやドラムもあって、若い人たちがリズム感のある、ビートのきいた音楽を演奏していて、聴衆も半数は若い人だというのだ。で、フーゴさんは、ベースギターを担当しているとのこと。
新宿区でも早稲田の方にそういうような教会があるようだけれど、今は、そうやって、若い人たちに音楽をやらせてあげないと、教会には来ないのかも。ルーテルもたまにやるけれど、例外的にやるだけだから、もう少しそういう機会を増やしてもいいかも。
27インチの自転車を買った。古い元電動自転車では、重いし、自転車の役目を果たしていない。買ってよかった。
ブラジル人日系4世フーゴさんは、もくもくと土を運ぶ仕事をよくやってくれた。これはご褒美みたいなもの。
バイク屋さんに行った。なんと、前のふたつのライトのうちのひとつが壊れていたとのこと。久しぶりにバイク屋さんに行ってよかった。ヘルメットを新品にした。風防がなくて、いきなり目に砂が入って来るようなこともなくなる。しかも、サングラスまでついているすぐれもの。
ニューヨークの国連本部勤務のフランス人と久々に再開。嬉しい、覚えていてくれて。
11月21日 火曜日
朝、ブリュンヒルデちゃんを病院に連れて行く。避妊手術。こんなかわいい子が手術をするなんて、信じられない。でも、可愛いから手術しておかないと。
雅子さんがお稽古に来た。ここで一緒にやる最後のお稽古。次回のお稽古は、富山。
愛ちゃんと『エポールマン』やって、そのあと続いてわさびパパともお稽古したから、他のことやる暇がなかった。
明日は、リサイクルショップに洋服とか持って行かないと。
11月22日 水曜日
明日だめだとのことで、今日午後から英子さんのお稽古。きれいになろうという意識が出て来た。
11月23日 木曜日
田村さんが、ビックカメラで待ち合わせて下さって、マックのパソコンをリースすることになった。今までwundowsだけだったけれど、これからはマック。買取でなくて、リースだとのこと。20カ月経った時点で、新品と交換するのだという。そんな話があるのだとは。
やはり、そういうことに関して情報弱者の私は、思い切り最先端を行っている友人のアドバイスをよく聞いた方がいいのだと納得。ご自分の古いタブレットを下さった。古いと言っても、液晶割れている私のより数段いい。保護フィルムを貼るために、ビックカメラに預けた。
11月24日 金曜日
電話番号が変わるけれど、旧番号は30年間使っているから、そのまま保持しておくことにする。これまでもずっと二回線払っていたのだから、同じこと。
自分のところは、光にしないで、airにしたのだけれど、これって、実はすごく便利みたい。だって、どこへでも持って行かれる。まるでポータブルのwiFiと同じ。
そんな大きなもの持って、旅行に行こうとは思わないけれど、そういうこともできてしまうのだろう。
11月25日 土曜日
最後のお稽古だけど、なんだか、きよさんも悦子さんも、上手になったなあと感じた。
きよさんが、リズム通りのステップを踏んでいるのを見て、びっくり。上達している。愛ちゃんがビデオのお友達を連れて来た。マネージャーさんと言っているけれど、多分彼氏。『エポールマン』、『インド』、『チャイナ』、『川の流れ』などを録画。
今日で一回終わるけれど、来年、本番でこれらを踊ればいいのだから、物には執着しない。踊りに執着していればそれでいい。
スタジオには照明もトイレも流しもないから、いちいち隣の家にいかないといけない。
11月26日 日曜日
後数日しかないので、ルーテル教会には行かないで、埴輪や土偶の梱包を開始。すでにほとんど庭は出来上がったので、これだけ自分で原付で運んで、庭に並べて兵馬俑を作ろう。兵馬俑づくりで一番嬉しいのは、誰もいない時間帯に、一人で、ニンマリしながら、位置を決める時。
今度は広いから、もっと大型のものを増やしてもいい。これまでは、どうやったら、地下で猫の襲撃を受けずにマイ兵馬俑を維持できるだろう、ガラス張りのケースに入れればいいのか、でも、倒れたらもっと悲惨だなど、いろいろ考えていたのが昨日。あっさりと、埴輪公園みたいに外に置けばいいと、思ったのが今日。8箱に分けて入れたから、さあ、これから市ヶ谷兵馬俑へ運搬開始。1回2箱、4往復。いい日曜日。
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11月27日 月曜日
あと4日しかこの寒い家に寝ないから、この寒さを楽しまないと。こういう経験をしたのは、よかった。「日本の家は寒い」ということが、これでわかったのだから。まあ、四ツ谷時代に経験はしていたけれど、あれは所詮明治や大正のものだからと思っていたけれど、なんのなんの、昭和の家が寒いのだわ。
朝温度計を見ると嬉しくなってしまう。一桁というのは、クールだわ。身体が強くなった気がする。思うに四ツ谷のおじいちゃまおばあちゃまが元気だったのは、寒さに耐える丈夫な身体を持っていたからではないかと思う。
アルゼンチンの双子が、猫の世話をやってくれそう。
11月28日 火曜日
アルゼンチンの双子は、ウラジオストックから12月2日に来日して、私が温泉へ行っている間の猫の世話をしてくれると言っている。
思うに、神様は、私が必要としていることをいつもご用意して下さっている。
私はなんて幸せ者なのだろう。
11月29日 水曜日
このスタジオ最後のお稽古が終わった。
なんだか泣き出したい気持ちになった。
物にしがみつかない自分に拍手を送ろう。
もったいないと思わないで、手放そう。
どうせいらない物なのだから。
あと1日。
さあ、これからシーツケースに入れた着物を、砂土原町の着物箪笥にしまいに行く。壁につくりつけの着物ダンスがあるから、私は余計な家具を部屋に置かなくてすむ。鏡付きの箪笥二つとも、これでお別れ。思うにこれは、新宿御苑時代からあったのではないだろうか。長い間お世話になった。東急ハンズで買った。曙橋時代、四ツ谷時代を通して、当たり前に目の前にあった。第二のお役目を与えようと思う。
さあ、これから出発。
11月30日 木曜日
四ツ谷生活最後の日。
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12月1日 木曜日
四ツ谷生活最後の日。
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12月2日 木曜日
四ツ谷生活最後の日。
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12月3日 木曜日
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12月4日 木曜日
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12月5日 木曜日
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12月6日 木曜日
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12月7日 木曜日
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12月8日 木曜日
四ツ谷生活最後の日。
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12月9日 土曜日
イヤリングやほとんどのシルクドレスが出てきた。あとは、ピンクのイブニングドレスや、ピンクのジャケット。
でも一番欲しいのは、ジャパンネット銀行のワンタイムなんとか。
入れたはずのところに入っていなかったから唖然。
自転車の充電器を手に入れたから、今日からまた電動自転車に乗れる。
バイクだと、面倒なことが多かった。
若葉の鍵を作ってきた途端、今まで見つからなかった赤い鍵袋が見つかった。
それにしても、赤いトースターはどうしたのだろう。
12月10日 日曜日
明日出かけるから、昼間、2時間くらいだけ寝た。夜寝ないようにしないと明日の朝後時に出発できない。あれやこれやの買い物をして、留守の間、アルゼンチンの双子とスイス人がお腹空かないようにした。鳥のグリルを持って行こうと買ったのに、作るのを忘れて出発したとは。まあ、おにぎりやゆで卵作ったからいいけれど。夜は11時から1時まで寝て、すぐに起きて、あれこれやった。
12月11日 月曜日
朝の5時に家を出て、なんとタクシーを使わずに、市ヶ谷駅からJRに乗って、東京駅から新幹線で富山へ。すぐにアパホテルに荷物を置いて、観光開始。まず北前船の海産物売人問屋街の森家へ。いやあ、すごい、日本のヴェネチア人。蝦夷往復50日、大阪往復100日。畳の材料で、船の上部を作っているのだけれど、まるで、チグリス川の水上生活者の船と同じなのには、たまげたわ。
富山に戻って来て、今度は、ガラス美術館、薬の池田屋と、広貫堂、そして、お城が休みだったから、お城の目の前の佐藤美術館。そのあと、ホテルへチェックイン。温泉に入り、横になってから、お稽古へ。雅子ちゃんは、すごい大きなスタジオを借りてくれた。
12月12日 火曜日
お風呂の後、朝ごはん。ちょっとだけ、横になり、割とゆっくり11時近くに出発。まずお城へ行き、昨日見られなかった博物館を見て、天守閣へ。その後雅子ちゃんと合流して、民芸村へ行き、なんと7箇所を回る。民家、博物館、美術館、いやあ、1日にこんなにたくさん回るなんて、初めて。収穫は、遮光土器が、6県で出土していて、それぞれほんの少しデザインが違うけれど、全部、ゴーグルした宇宙人だということ。富山でも出たとは、嬉しい。縄文文化圏、万歳。
『ミッションインパッシブル』を仕上げた。これで、次回上京した時には、みんなと一緒に踊れる。慌ただしくお稽古場をあとにして、出発。
真夜中に東京に着いた。
観光とお稽古を組み合わせた今回の旅は、楽しかった。
12月13日 水曜日
北前船の岩瀬の森家資料館の入場料百円と書かれたお皿がパンフレット類のビニール袋から出て来たのには、参った。
すぐに送らないと。びっくりするだろう。お詫びに(私が悪かったのかどうか、わからないけれど)『東京都知事になった猫』を入れて送ろう。
雪に閉ざされる日本海の富山が、北前船と売薬で、藩を潤したのは、本当に賢い。そのバイタリティがすごい。広貫堂だか、池田屋で買って来た、柑橘類の皮の干したのを水で戻して、料理に入れようと思う。
12月14日 木曜日
東京ガスが来て、ガスが漏れていると言う。
台所、お風呂場、洗面所、外、和室と色々調べて、結局、漏れているのは、私が四ツ谷から持って来た、長い間慣れ親しんだ暖房機だと判明。
早、速、「使用禁止」の黄色いシールが貼られた。
そんなわけで、新品を買いにビックカメラへ。
思うに、引越しをしたということで、命をいただいたことになる。
引越すその日まで、私は、ガス漏れのする12年前に製造されたガス器具で毎日暮らしていた。頭痛がする日もあった。あのまま、ずっと冬中、過ごしていたら、ガス中毒で、死んでいただろう。死体で見つかった可能性もある。
引越すときは、辛いとか、残念無念という感情があったけれど、そうか、神様は、私の命を救って下さったのだと思う。
神様は、私のような小さい存在にも、お心を注いでいて下さるのだとつくづく感じた。
私は、命をいただいたことになる。感謝の気持ちを神様とご先祖様と、皆様に捧げたい。
12月15日 金曜日
青いスーツケースが見当たらない。
可能性としては、倉庫。
行って調べるしかない。
ガス暖房のホースを繋げて、やっと暖かく暮らせる。
やはり、東京ガスの製品はすごい。
リンナイを買ったと思ったら、東京ガスだったというのは、本当に、冗談みたいだけど、まあ、担当した人が、ベトナム人だったから、何も言わない。
毎日、地下室のダンボール箱が減っていく。
余計なものまで色々持って来ていたから、捨てたり、相応の場所へ持って行ったり。
タオル類がやたらと多い。海外や、デパートのセールや、バザーに行くたびに、バスタオルを買う癖が災いした。
12月16日 土曜日
フラワーさんといよんちゃんが来て、インドの「マハビシャ」の後半部分の練習。
なんだか、久しぶりに会ったから、嬉しかった。
せっかくおかま先生に習ったのだから、前半と後半、両方できるようにしたほうがいい。
地下室がまだできていないから、急遽、ベランダ側の部屋に鏡を置いてリハーサルをした。
フラワーさんがいるから、おかま先生の踊りは、日本で踊られる。踊りを繋げたフラワーの業績は大きい。
28日に永谷さんの会で踊らせていただいて、来年は、4月に、大きいところで、フォーメイションも作ってやろうと思う。昨年の秋に習った踊りが、こうやって、何度かの試行錯誤を経て、進化していく。
夕方、ベッドがどさっと届いた。
今日はいい日だった。マハビシャ
12月17日 日曜日
今年もあと半月になってしまった。朝から、みんなに手伝ってもらって、ベッド組み立て。エミールは、炊事係、建築の現場で働いた経験を持つスイスのフィリップと、ジャグラーのレアンドロがベッド組み立て担当。
私は、ここに来て初めてのレッスン担当。
第一号は、ナディアさんだった。
この人相変わらずの出で立ちだから、アルゼンチンの双子がちょっとびっくりしていた。
リズムを誤魔化さない。これをやれば、絶対に、リズム感が治る。これまで、この人のリズム感の許容範囲以上の振り付けをやって来たから、全くリズム感が育たなかった。
踊りは、まずリズムから入らないとダメで、形はその後でもいい。どうにかシムシェムの1番はできた。2番は、シンコペイションだから難しい。100発10中くらいになった。私が責任を持って、この人のリズム感を治すと、決心した。
同じ理由で、上達しなかったキヨさんがいるけれど、この人も、マリカメソッドで、リズム感を徹底訓練したら、治ったかもしれないと思うと、残念。これからは、自分が担当して、責任を持って、上達していただく。
12月18日 月曜日
庭に出る以外、外へ一度も行かなかった。庭にセミダブル幅のすのこを置いたら、いい感じになった。
この上にヨガマットを敷いて、寝転がって、ヨガをするなり、読書をするなり楽しく過ごそうと思う。
ハシゴをかけると、戦車の操縦席のようなデスクへ行かれなくなる。
暖簾を2枚うまく使うと、ベッドの目隠しになる。
もしかしたら、洗濯機置場もそうした方がいいのかも。
ロールカーテンを買うのではなくて。
思い切り狭い家だけど、でも、それでも構わない。
都会で畳12畳くらいの土の庭がある家なんて、果たしてどれくらいあるのだろう。神様のお陰。
12月19日 火曜日
なぜか、あまり食欲がない。
そうか、昨夜寝る前に思い切りたくさん、お肉を食べた。
影響しているかも。
アルゼンチンたちといると、つい、たくさん食べてしまうけれど、私はそんなにたくさん食べ物、いらない。
クリーニング屋さんへ行ったら、赤いワンピース来ていないとのこと。
最後に着たのは、いつだったのだろう。
ここにはない。
ということは、もしかしたら、裾直しか何かで、市谷台町のお店に出しているとか。
レジデンスの大家に、富山の薬売りの広貫堂の薬膳カレー届けた。
12月20日 水曜日
いよいよ明日、決行。
地下室に用意した荷物が10個以上なくなる計算。大久保の倉庫の洗濯機なんかもなくなるわけだから嬉しい。和室の冷蔵庫には、参ったわ。結局、私は、若葉から持って来た冷蔵庫を使い続けることになるけれど、まあ、どうでもいいわ。冷蔵庫のふたが開く容易なっただけだって、もう、十分嬉しいのだから。食器や寝具などの準備に余念がない。
12月21日 木曜日
ついにこの日が来た。昼に全員集合して、食事の後、双子は加賀係。文字通り加賀公園の斜め前にあるけれど、あそこらへんに取り残された古い家何軒かが実に怪しい。
大日本印刷は、あそこは、結局、地下に埋めた大規模な基地だったのだろう。戦時中の敵の爆撃機が飛来する中でも、地下施設で密かに日本円を刷って板とか。全面的に改築して、すごくお金がかかっているのがわかる。
ともかくあそこはボロ家だけど、軽トラックいっぱいの荷物を置いてくれる貴重な場所。
夕食後、エミールとドンキホーテへ行った。喜んでいた。焼き芋買ってあげると、外国人は喜ぶ。
12月22日 金曜日
加賀の家へ行って思ったことは、殺風景。
ちゃぶ台だけあっても、座布団がない。箪笥があっても、鏡がない。台所にガス調理器具がない。あ、ガスそのものが通っていない。申し込まないと。
どんなに変な家でも、内装次第で、どうにでもなるということをよくわかっている。ま、それも、余計なゴミがないうちはということだけど。
そういえば、カリフォルオニアの池田家は、上の階、本当に物がなかった。どうやって生活しているのだろう。下の階はそれでも、物があったから、人が生きている証拠みたいなものがあり、安心した。
益戸育江さんと知り合ったことは、神様のご配慮。現在石垣島だとのこと。東京選挙区から立候補なさったとは。
12月23日 土曜日
一昨日オープンして、今日からもういらして下さるとはありがたい。イタリアで生まれて、ドイツで仕事をしているインド人なんていうのがいるとは、いやあ、参った。やっぱりね、ドイツ語の書き言葉が正しくないと思ったわけだわ。
ところで、電子レンジのコードがどこにあるかわからなかったというのが、笑える。冷蔵庫のコードだって、コンセントに差し込んでなかった。
私はかっこ悪い照明器具が嫌いだから、シャンデリアにしたいわ。斜め前にお化け屋敷みたいなのがあるけれど、いいのかな、都心にこんなギーバッタンみたいなのありかな。電気ついてるから、空き家じゃないし。
12月24日 土曜日
春謡流の公演を見に、浅草公会堂へ地下鉄で行ったら、あまりの空気の汚さに身体がついて行かれず、公演を見て帰って来たら、ご飯の後、もう、倒れさってしまい、そのまま夜中まで寝てしまった。はっと気がついて起きた時には、時すでに遅く、何と1時近く。ああ、ルーテル教会での深夜クリスマス礼拝に間に合わなかった。信じられない。昨年はインド人のカイル君と一緒に行ったのに。
熱があり、咳がひどく、身体が重い。
一年で一番症状が悪くなってしまった。どうしよう。
引越し疲れが一気に出た感じ。
12月25日 月曜日
昨夜から病気になってしまったため、咳と痰がひどくて起きられない。
今まで張り詰めていた気持ちが一気に切れてしまったのだろうか。普段ではあり得ない状態。双子はいいけれど、メキシコ人は、時間に正確じゃないし、やることも、当然考えたらこうするだろうというその反対のことをするから、やっぱり、この国籍の人はちょっと。以前、二回ほどこの国の人がお掃除してくれたけれど、時間に疎く、やってくれた仕事も態度もひどかった。それなのに今回呼んだ私が悪いのかも。1月の始めにお留守番してくれる人がどうしても欲しかった。だから仕方ない。
12月26日 火曜日
マレーシアだかシンガポールからのチャイニーズ系のおデブちゃんは、自転車にも乗れなくて、かっこ悪いけれど、心が綺麗な人なのだということがわかった。日本人名を名乗っているのは、お父さんが日本人だからだそうだ。そういうことだったのか。
私は、具合が悪いから色々なところへ行きたくない。でも、ものすごい量を食べる人たちがいるから、食料の買い出しに行かないといけない。
12月27日 土曜日
実はこの日、文字通り家捜しした。Aラインのイブニングドレスが二着ともない。(実はその後、赤い方のドレスだけ、アニマル柄の伊太利屋ブランドのスーツケースから出て来たのだけれど、お気に入りのブルーや、ジャケット、その他いろいろのタイシルク製品が、水色のスーツケースもろとも、出てこないので、仕方がないから、こばあるとグリーンのなぜか上だけ失くなって、下だけ残ったスカートと、苦し紛れにちゃんちゃんこの紐を背中で縛った格好で、『エポールマン』を明日踊ることにした。
咳しないで最後までいられるかどうか。
12月28日 木曜日
永谷音楽事務所の忘年会は、今年は銀座。34年前からやっていた恵比寿の共立ビルは、建物取り壊しとのこと。
銀座の事務所にお邪魔したのは、二回目。侍姿のアルゼンチンの双子を連れて、フラワーも一緒に、皇居の周りをぐるっとサイクリング。市ヶ谷からだと、四ツ谷と違って、半蔵門通りに出ないで、毎日新聞社のところから大手町を回っていくのが近い。
双子の出し物は、結構、甘い歌声でびっくりしてしまった。いつそんな練習したのだろう。うちで終わった後、永谷さんが、双子を引き取ってくださることになったのでよかった。
12月29日 金曜日
すのこを買った。新しいすのこは、いい香りがする。
さて、このベランダに必要なのは、細い板。これでコンクリートを被せてしまったら、いいのだけど。
カールちゃんが、すごく慣れて、一緒に寝てくれるのは、本当に嬉しい。ブリュンヒルデちゃんは、撫でても、絶対にグルグル言ってくれない。うーん、まだ、心を開いてくれていない。
ところで、原付バイクを、崖の方まで持ってくるのは、本当に面倒だわ。
郵便ポストの横に置きたいけれど、文句を言う人がいるようだし。地味に、目立たず、大人しく、これをモットーにしよう。
12月30日 土曜日
朝、慌てて、今年最後の美容院へ。スイス人は無粋だから、私が美容院へ行ったのに気づかなかった。双子はさすがに気づいた。明日はやっていないお店があるだろうから、今日は、あちこちに買い出しに。昔の買い出しは、アメ横とか築地へ行っていたわけだから、うーん、今と全然違う。
今年は、本当に慎ましやかに年を越すことになるけれど、よく食べるアルゼンチン二人を抱えているから、量をたくさん作らないと。
改めて乾物の食品のすごさを実感した。
昔は、乾物屋さんなるものがあったけれど、今は、面倒だから、出来合いのものを買ってしまう。でも、ひじきだって、切り干し大根だって、高野豆腐だって、乾物で作ると、昭和の料理になる。
まゆみさんは、おなますを必ず作っていたけれど、面倒だし、どうしようかな。でも、一品くらい、さっぱりしたものを用意したっていいかも。ああ、大根を買いに行かないと。
12月31日 日曜日
日曜日なのに礼拝に行かず、用事をやっていたなんて。明日の新年礼拝は、絶対に出席しますと、神様にお約束。
昨日に引き続き、ベランダのすのこを1枚買って、原付で運ぶ。少し切らないと、ダメかも。レアンドロに、大工仕事を任せる。
夜、ソンミちゃんが来て、オーストラリアのヘッドスキンのライアンもお声をかけて、アルゼンチンの双子とメキシコのソンスエロとみんなで、年越しそばを食べる。
お店でコシのある冷たいおそばを食べた方が美味しいのだけれど、キツネにして、茹ですぎたから、ちょっとね。
高野豆腐、かぼちゃの味噌汁、いなり寿司、パイナップルサラダ、おしるこ、羊羹、チーズケーキ。
さあ、明日から数日、ご飯食べずに、お餅生活が始まる。
今年は、激動の1年間だった。後半、新生活を開始できたことを、神様に感謝したい。
もしかして、これまでで、一番良い生活スタイルになったのかもしれない。神様と三雲弁護士のおかげ。