ルイジ先生の写真をいろいろ集めてアップしておこうと思う。
Most of pictures photographed by Milton Oleaga
ミルトン・オレアガ氏はルイジの専属の写真家として長年にわたりルイジに密着して、大量の写真を撮影した。
2011年に亡くなり、作品が散逸してしまった。
幸い私がポジフィルムを預かっていたため、2014年になってから、
それを有学書林の社長ビジンさんのご厚意で、社員の遠田さんが1枚づつ全部、スキャンして下さった。膨大な時間と労力だったと思う。この場を借りて、お礼申し上げたい。
もっと早くにやっておけばよかったのだけれど、今になってしまった。ミルトン・オレアガの写真が良い状態で数百枚あった時にやっておけばよかった。1982年から30年放置したので、劣化してしまったことが悔やまれる。
なぜ、大久保一丁目の倉庫の中にポジフィルムをしまっておいたのだろう。
あそこは駐車場の奥にあるから、湿気がすごい。
本当なら、金庫の中にしまっておかないといけないくらいのお宝だったのに。
現在、救えるものは、どう見積もっても203枚。
これをすべて『ルイジ、ジャズの頂点』
コメント:
昔のクラスはレベルが高いですね。写真で見るとよくわかります。
スターもたくさん混ざっているし。
今はどうかなぁ、特に長年ルイジだけを続けている人はステップのパターンが体に入っているだけのダンス。
パスチャーを矯正することにてんで無頓着なダンスを目にするとなんかちょっと見るのが辛いです。
ルイジは完璧なパスチャーを見せつけてきたのに、どうしてそこに注目せずにルイジを踊ってきた人がこんなに多くいるのだろう? と不思議に思えます。それも容認するのがルイジなのかもしれませんね。(Zxxx)
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そうですね。80年代前半は、その日の夜ブロードウェイで上演するようなダンサーや、ボリショイバレエの人や、有名な女優などもたくさん来ていました。ロニーの影響が大きかったと思います。
ボーイズというと、10名近くの男性たちが一斉に踊ったりして、結構、見ていてかっこよかったし、フランシスも受講生の中の一人として踊っていた。
ルイジと同じかもしかしたらそれ以上のスリリングな天才ダンサーであったロニーがいたのだから、借りてきた猫のような大人しく控えめで、じっくり努力型の次の人がトップの座にいるようなその後のルイジスタジオが、エネルギーを失っていったのは、ある意味、わかる気がする。
上手いダンサーは、ロニーについて、ステップスだかブロードウェイダンスセンターへ行ってしまったし。ロニーが教えていたことは、ルイジをもっともっと発展させた、よりかっこよく、セクシーで、麻薬のような踊りで、それをもっと運動能力を要求するように発展させたのが、西海岸のハマさんだというのがわかった。
ハマさんは、本当に立派だ。ルイジジャズセンターから一番遠く、つまり、米国の反対側の西海岸で独立したということは。師に迷惑をかけない。師を立てる。そこがサムライのハマさんと、おかまダンサーのロニーとの違いなのだろう。で、その後、ロニーはどうしているのだろう。もう、かれこれ60歳は過ぎているかもしれない。(管理人)