Porte Rosaの温泉スパから、ヴェネツィア共和国のそっくりさんみたいな岬の最先端部のPiranに海岸沿いに歩いて行く。最後の頃は面倒になって、乗り合いバスを使ったけれど。Pitanのあの小径、絶対に消防車が入って来られないような迷路のような古い町並み。
首都のリュブリアーナは、ハプスブルクの香がする街だったけれど、これが首都だったら、オリンピックはできない。そもそも、ユーゴスラビアだったから、オリンピックのサラエボ大開とかできた。
この時はスイスのアバーノ温泉から入ったけれど、男に連れて行ってもらう旅は、もうこれで終わろうと思った。自分の旅をしたいから。
ドイツは何度か行ったけれど、この頃は、ドイツの温泉21箇所巡りをしていた。バーデンバーデンみたいなお上りさんも来る当たり前のところだけではなく、ケルト神話の秘境温泉とか、皇后エリザベートの秘密温泉とか、カール大帝温泉とか、ルードヴィッヒ二世の塩温泉とか、これでもかこれでもかと足を運んだから、生涯で一番疲れた旅だった。リラックスしに行くのではなくて、1日に2箇所とかすごい時には3箇所回ったので、アッシー君はたまらなかっただろう。途中でアッシー君をロシア人からスイス人に替えて、旅を続行。
写真はバーデンバーデンのカジノのサロン。
目黒区の生涯学習センターが、「ドイツの温泉」について1回区民講座を開催して、喋られて下さったから嬉しかった。ヘルツルさん、ダンケ!
ドイツの温泉は21箇所行ったのに、スイスは、バートラガース、ケルトの秘湯タミーナ、バーデン、ラビレバンとまだ4箇所。
ドイツのついでに急に思い立ってやりはじめたわけだけど、これをもっと早くからやっていたら、結構多くの温泉に行かれたこと間違いなし。
というか、実際にはできたのに、なぜか、ヨーロッパの温泉巡りをしようと思わなかった。ジェイムズと行った1982年のギリシアの海中温泉がヨーロッパの最初の温泉になるのだろう。
バートラガースというくらい、ここはドイツ語なのだけれど、フランス語国民もいるから、この国では、ドイツやオランダのような混浴温泉はない。
ラビレバンは、汽車とバスを乗り継いで、はるばる出かけていった温泉。ヨーロッパの温泉は、駅前に温泉街が広がっているわけではなく、人郷離れたところにあるから、絶対に車でないと行かれない。
私は1987年の夏のあの日、スイス人のあの人と知り合っていなかったら、自分の世界の3分の2は手にしていなかっただろうと思う。結局、感謝している。
Iraq イラク
父ブッシュと息子ブッシュの戦争の間に2度行った。
1994年ハトラ国際民族芸能祭(古代ローマ遺跡)
1995年バビロン国際民族芸能祭(バベルの塔の横)
1度目はアンマンから、2度目は、ダマスカスから。
日本大使館がなかった時のイラクへ行ったから、まさに自己責任だった。
1995年のシリア公演は、国際交流基金助成で、その後、ダマスカスからヨルダンを経由してイラクへ。
この時は、毎日違うドイツの温泉に出かけていた時だったので、その途中に通ったのが、ルクセンブルク。毎日違う温泉に泊まり、1日一か所もしくは、二か所を制覇するというのは、本当に大変な旅。
運転をしていた人は、もっと疲れただろう、ご苦労様。私は車中で寝ていたので、快適だった。
ルクセンブルクはお昼を食べて街をふらりとするくらいしか滞在しなかったけれど、隅々までピカピカに洗練されている。ここで生まれ育ったら一体どうなるのだろう。文化的に言っても、まわりは外国という意識はぜんぜんない。実は平成29年11月末にルクセンブルク人からお手伝いの要望が届いた。もの心ついた時から自然に5か国語が話せる本物のコスモポリタンに出会える。
India インド 2016 May. 平成28年5月。
カラヤンさん企画、聖ヨーゼフ学院と提携で開催したビハリ・ボース生誕130年記念祭で踊った。インド大使館後援。
イヨンちゃんと正統派カルカッタ観光。
クリスやモンゴル、オXX先生たちと合流して、おもしろカルカッタ。
今回のインド公演がきっかけで、同年秋には、スブハジット先生を招聘して、「ベンガルの星ジャパンツアー」(インド大使館後援)。
ったくなにがきっかけになるか、わからない。
Cyprus キプロス 2016 Nov. 平成28年11月。
ワールドベンチャーに入会したから、ドリームトリップのツアーに参加。
マイレッジ使用でモスクワ経由。古代遺跡のファロス。
マイレッジで行った。モスクワ経由でキプロスのラルナカ往復。首都のニコシアに空港がない。キプロスは水がないのに、ピカピカでものすごい、お金持ちの国。プラスして自分でラルナカに宿泊して観光したからツアーと個人旅行の両方ができてよかった。時間があるときはそういうのがいい。
China 重慶 2018May 平成30年5月。
これは本来、上海で行われるインド系フランス人アンドレと、コリアでwwoofの際に知り合ったというチャイニーズOLの結婚式に呼ばれて行った際に、ちょうどいい具合にその2日後から重慶で始まるdreamtrip tourに参加ということで実現した。
1日にあまりにも、たくさんのことを詰め込み過ぎるから、朝ご飯の後、ホテルを出てから、晩御飯の後の揚子江ナイトクルーズから帰って来るまでの長過ぎる1日の間、ずっと同じ服を着の身着のままだった。
途中でホテルに寄って、着替えて、ナイトクルーズに臨んだりということもできなかった。
ま、あの客筋だからいいのかとも思ったけれど、今まで参加したdreamtripでこんなに質が悪いツアーはなかった。
それもこれも、チャイナのdreamtrip組織が、通訳というかホストに1日分の給料しか支払わないからこういうことになった。
他の国のdreamtripは、来た時から、帰るまで。ラオスなんか、空港から空港まで、お世話してくれた。
Laos ラオス 2017 June 平成29年6月上旬。worldventure
ドリームトリップのツアーに参加。マイレッジ使用でハノイ経由。
前回、客家ツアーでドジをして、出発月を間違えたために、結局ツアーに参加できず、個人旅行になってしまったので、今回は万全を期していたのに、案の定、空港からホテルまでの送迎車の申し込みを忘れてしまった。期限が出発二週間前って早すぎる。ドキドキしながら、ヴィエンチャンに到着したら、ラオス人のドリームトリップスタッフがニコニコと空港で待っていてくれて、ちゃんとクルマに乗せてくれた。嬉しい!思ったのだけれど、ドリームトリップの本部に連絡をすると、事務的な答えしか返ってこないけれど、現地のスタッフは実によくやってくれる。キプロスの時と違って、ホテル、空港までの往復をドリームトリップ側が責任を持って送迎してくれるので、ありがたかった。チャイニーズやコリアンが非常に多くて、日本人が私一人しかいないことにびっくりだったけれど、日本人は安易に(以前の私を含めて)バンコクやバリへ行ってしまうから、無理もないかも。
やはり、旅はドリームトリップがいい。
Thailand タイ 1997から何度も。
最初に行ったのはまだローちゃんが生きていた時だから、イラクから帰って来てから1、2年後のはず。猫姫やジョーもいた。それからは、レーシック、全身脱毛、買い物(木彫り、タイシルクのお仕立て、ブーツは10足くらい作ったはず)。由美子さんのところでの着物の二部式加工や新規ご依頼など、様々な理由で通ったけれど、もう行かない。タイシルクのお仕立てが、雑であると感じるようになったから。以前は、そこの人がちゃんとやっていたからいいけれど、下請けに出していると、結局やっているのは、市場の中にミシン置いているおばちゃんなのだと思うから、仮縫いが甘く、サイズが合わなかったり、コミュニケイションがどこかで崩れて、後ろスリットが両横スリットになっていたり、納得いかないことが頻発したために、これからは、お仕立ては日本でやろうと思った。高くても、採寸がしっかりしている技術的なことを優先する方がいい。
最初はずっとプラトナム、途中何度かスクミビット辺り、最後の何年かは、便利な貿易センターの前のアルノマにした。
philippines フィリピン 1998から5回。
Geocityのサイトがなくなったから、こちらに移動。思うに、フリーHPはダメ。いつなくなるかわからない。
さて、フィリピンは、次回は、不自然な突起が気になるボラカイ島に行こうかな。
ミンダナオ島も興味深い。よくキリスト教化されず、今に至るまでイスラムを守っているとびっくり。
6千も島があったら発展の妨げになるだろう。移動費がネックになって、行政が上手く機能しないだろう。だから保てる、個々の島の独自性。
France フランス 1974年初回。
その後、何度も。数えてない。
生まれて初めての海外旅行で降り立ったのが、パリのオルリー空港。その後何度も、欧州の玄関として使った。当時の写真、探せばあるかな。
Oesterreich, Austria オーストリア 1974年、1975
その後何度か、足を運ぶ。
いや、懐かしい。ウイーン大学の夏期講座に、18、19歳で参加したから、ドイツ語が自由になって、その後の、情報蒐集ルートが増えた。
「お金は出すけど、口は出さない」と言って私を信頼してくれた父に心から感謝する。言葉が自由になると、出会う人が変わるから、人生が変わる。
2年目の受講の時にジェイムズと出会ったことで、人生が変わった。アシュケナージュと婚約した私
Italia イタリア
18歳の時に行ったイタリアと19歳の時に行ったイタリアだけだってすごく違うのに、まして、バブルの時代に毛皮を来て行った冬のイタリアや、ローマ帝国の兵士が通った道を陸路で入ったイタリアや、アバノの温泉に行ったイタリアも違う。
自分の成長によって、見えるイタリア、感じるイタリアは、違う。
Canada カナダ
何度も行ったのは、ジェイムズのお陰。
行った回数を記録していなかったから、全くわからない。
でも、この写真は、ビービのベルゴーフェン家の別荘の庭で。
手編みコットン・ニットのワンピースは、ふさこおばさまが作って下さった。
そのうちモントリオールやヴィクトリアの写真が出て来たら、アップしたい。
トルコ
1回目はチュニジアへ行く途中の数日。
ちゃんと行ったのは、洗礼の旅の時。
この日から私は正式にキリスト教徒になった。
ジェラルドのお陰。
今まで、行きっぱなしだったから、ちょっと整理してみようかな。
順不同。思い出した順。
記録を残さないと、旅は、失われてしまうのよね。
行った国一覧:順不同、地域別というか行った順というか
フランス、スイス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、イタリア、スペイン
チェコ、スロバキア、リヒテンシュタイン、ヴァチカン、ギリシア、スロヴェニア
ヨルダン、イラク、シリア、トルコ、チュニジア
タイ、カンボジア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、インドネシア、ベトナム、ラオス、スリランカ、
インド、香港、中華人民共和国、韓国
米国、カナダ、メキシコ、ドミニカ共和国
合計36カ国
まだ、ぜんぜん足りない。秋に多分どこかへ行くからそれでやっと37カ国。(平成29年6月現在)
マルタにしようか、近場でミャンマーとかで済ますか、まだ決めていない。
注:
以上の文章を書いたのが平成29年6月で、それから四ツ谷から市ヶ谷への劇的な引越など色々あり、平成30年5月現在、その間に行った外国は再度チャイナへ行っただけだから、数が増えていない。同じ国を避けないと。でも、一度行くと、今度は、あっち、それからこっちと欲が出て、深く見ようとするから、また同じ国へいく羽目に。
人生の時間を考えると、あまりゆっくりしていられないから、積極的に行動しないと。
-------------------------------------------------------------------------------------------
香港へ足繁く行っていた頃、あそこはまだチャイニーズ・テリトリーではなかった。
現在も私的には、あそこをチャイニーズ・テリトリーと考えない。
中国というのは、日本にある一地方。島根県や岡山県があり、混乱するので、チャイナを刺す時、私はチャイナと言う。
国は国際情勢で変化するので、行く時期によっては、必ずしも現在の国の分け方になっていない。
今はチェコだけど、当時はチェコスロバキアで二カ国を包括していたから、ヴラティスラヴァへ降り立ったら、あの時はいきなり、スロヴァキアから入国したわけだ。
乗り継ぎのためだけに降り立った場所は、観光をしていないから、実際にはその国に行っていても、上記訪問国に入れていない:イギリス、ロシア、ドゥバイ
タイなど:構築中
鍾乳洞:構築中