マリカ・メソードのサイト管理人より:
芸術学科を受験する人、急ぎの特訓の方は至急ご連絡下さい! 以前の目次
現在、HPを再構築中のため、以下のリンクをご参考に下さい。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------
マリカは、ダンス関係書籍の著述家。
マリカの本紹介:ここをクリック➡️
ジャズダンス、タップダンス、ヒップホップ、フラメンコなど様々な教則本を出版。
ジャズダンスの王様ルイジのジャズダンスビデオ(日本ビクター)の監修担当。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
文学と舞踊:
作家の故萩原葉子先生にお会いしたのは、1982年の頃だったと記憶しております。
葉子先生が、新宿二丁目の私のスタジオをお訪ねくださったのです。
ご一緒に、ルイジジャズダンスを踊りました。
文学者で踊りを踊っていらした方は、萩原葉子先生しか存じ上げません。
葉子先生は、大詩人であられた萩原朔太郎先生の娘さんで、そう壮絶な人生から葉子先生の文学は生まれました。
まず文学で確立なさってから舞踊を始められたのが、葉子先生で、最後は、舞踊が文学に面白く混ざっていて、踊りをやっている人なら、夢中で読ませる文学のスタイルを確立なさいました。
私は、10歳の時の雜誌『少女フレンド』のインタビューで将来の夢を聞かれて、
「私は大人になったら、踊る女流文学者になる」
と答えて、それが掲載された。
その後やったことは、その延長にある。10歳の時に雑誌に対して言ったことだ。変わっていない。
だから、大学生にもなって、まだ自分の得意なことが何一つなかったり、人生で何をやりたいのかわかっていない人を見ると、びっくりしてしまう。
将来何をやりたいのか、4歳の時からわかっていた。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
メンター:
私は、踊りをその業界で一番の師匠に学んだ。
最初の10年を多正於先生、のちにジャズダンスをルイジ先生。
文学は、ドイツ文学者の高橋健二先生だった。
踊りと文学の間に演劇をしたけれど、劇団で師事した関谷幸雄先生は最高の演出家だった。
最高の指導者に触れる機会を得た私は、最高のものを学んだ。
いい人生だったと終える前に、
カヤックと出会った。
東京の白丸湖はスラロームの本拠地だった。
川漕ぎも海を漕ぐのも、最高の指導者に出会えた。
なんて幸せな人生。
神様、ありがとうございます。
サンバ羽根衣裳レンタル。プライベートトレーニング。柔軟&ステップ特訓。リズム訓練。 以前の表紙