マリカの猫エッセイ『Cat Book猫の年代記』第1巻 平成31年2月19日
時と時間を共有した多くの猫がいた。
私が自分の人生を持っているように、それぞれの猫もみんな自分の命を持って、人(猫)生を精一杯生きていた。
始めはペットや友達や、子供だった猫が、いつしか、私の知らないところで、活動をするようになっていたのかもしれない。
猫たちは、犬や鳥などと連携して、いつしか、環境と社会、国土と世界のために行動を起こしていたのだけれど、知らぬは、飼い主だけだった。
緊急に知らせたいことがある。
内部被曝は危険だ。
知りたくないことをお話しするのは、心苦しい。
保健所や、厚労省がやらないのなら、民間人がやるしかない。
3.11以前には20ベクレルだった日本人の平均内部被曝ベクレル数が、 200-300。
10倍被曝してしまったという事実。
「ただちに危険はない」から大丈夫なのではなくて、すでに今、危険なので、知らせたいたい。
56ベクレルという驚愕の低い数値を出した私は、2年にわたり、内部被曝検査センターで3回測り、毎回50台。
それでわかった。被曝数は、自分で減らせる。内部被曝の減らし方を説明しているハウトゥもの。
文学部芸術学科の舞踊専攻生の教科書や、卒論執筆時の参考資料になっている。
ジャズダンスの成り立ちを、アフリカ、ヨーロッパの歴史2千年前から、壮大なスケーリで紹介する黎明編。
大航海時代、米国の成立、奴隷貿易、アイルランド移民、ロシア革命避難民、パレットと絵の具、戦前戦後のショービジネス、軍産複合体、ヒュージョン。
アフロ・ジャズ、ユーロ・ジャズの成立。歴史編。ルイジの伝記と技能編で紹介するルイジ・ジャズ。底本:『ジャズ・ダンス・ブック』amazonで販売中。
イヌおちゃん、またの名を猫之助。
前任者がお金問題で辞めた時の都知事選に唯一の猫候補として出馬。
「動物愛護法で東京と日本を変える」を政策に掲げて、多くの有名対立候補たちを相手に選挙戦を闘う。「飼い猫の生活が第一」の日本最多17回当選のにゃんぐ長老、党の美人女性党首のロシア猫アナスタシア、
見事にトップ当選!
都知事になったよ! これの新宿版『新宿区長になった猫』上巻 下巻
amazonで販売中。
マリカ初めての書き下ろし。
80年代当時あった音楽関係出版を専門とする東京音楽社が、まだ著述家として全く無名(翻訳本が1冊あるだけ『ルイジのジャズダンステクニック』)だった私に書き下ろしを書く機会を与えて下さった。ルイジはユーロ・ジャズの頂点だ。私はニューヨークに飛び、サウスブロンクスに取材に行った。本文中の現地写真は全て著者の撮影による。タップの歴史は、ジャズの歴史。アフロジャズの歴史。これを書いたことで、見えてきたジャズダンスの秘密。これが次の『ジャズダンスブック』へと継承され、発展する。そして、さらにその後『ジャズダンス、誰が踊りを繋いだか』へと続く。
アマゾンで売り切れの場合はこちらへご一報下さい。
『ジャズ・ダンス・ブック』
ベースボールマガジン社。完売。
この本を底本として、内容をプラスして『ジャズダンス、誰が踊りを繋いだか』になった。『ニューヨーク・タップ・ストーリー』から『ジャズダンス、誰が踊りを繋いだか』への中間塚。
この本は、神様がアレンジして下さった素晴らしい出会いがあったから、できた。
『フラメンコ入門』
バルセロナオリンピックの年のスペインブームの時に出版。
フラメンコはいつ、どこでできたか。
ジプシーとは誰なのか。
著:マリカカルメン
学習研究社
『ヒップホップのヒーローたち』
日本テレビの『ダンス甲子園』の番組に出演していたグループ、特に東京と九州のチームを追った。
番組出演者たちの先輩、かつてのディスコヒーローたちも登場。
池田書店
『ブレイクby マリカ』
ブレイクダンスとはなにか。
どこから来たのか。
どうして米国がブレイクダンスのメッカなのか。
ヒップホップ文化とは、何か。
裏のダンス史研究の第一冊目。
ヒップホップもタップも、ジャズもフラメンコも、なんだ、私の手がけるダンスは、みんな裏街道のダンス史ではないか。
最下層の民衆の中で生き続けてきた踊りを、今に伝えた人々の熱い思いがあるのだ。
池田書店
『ジャズの女王物語』 主婦の友出版
これは『ルイジオンステージ』をやった直後、その生々しい経緯を記録しようとして男女を逆にして書いた、バックステージストーリー。
内容があまりにも衝撃的だったため、当時20代後半の私には荷が重すぎて、ドキュメンタリーとしては、書けなかった。しかし、男女を逆にして、主人公も、半分ドイツ人にしてしまうと、かなり楽になる。
99%事実かもしれないけど、設定が多少違っているから、暴露小説とは言われない。
ダンス関係の人は読まないでほしい。
『ルイジのジャズ・ダンス・テクニック』
翻訳。英語から日本語へ。最初の出版。
恩師高橋研二先生が、私を連れて、主婦の友社へお連れ下さって、「私のドイツ文学の弟子に翻訳をさせてやって下さい」と頼んで下さったから、可能になった。
先生のお力添えなしには、これは実現しなかった。
かつてジャズダンスのバイブルと呼ばれた本。元の英語版が、イタリア語、日本語、ポルトガル語に翻訳された。
翻訳はつまらなかった。原文に書いてあることしか、書けなかった。
だから、自作は絶対に書き下ろしにしようと決心した。
『マリカのファッショナブル・ジャズ・ダンス』
ビクター音楽産業。(1982年)
平多正於先生が、私にそのような機会を下さった。心から感謝している。
LPレコードとカセットテープによる、エクササイズ、フロアーエクササイズ、ステップコンビネイション用。
ビクターが版権を持っている膨大な数の曲の中から、一番好きな曲を選んで、LPの最後に決めた。
ビクター音楽産業は、同じビクターグループだけれど、日本ビクターとは違う会社。
最近、岩手県の骨董屋でそれが売られているのを見つけて、買い求めた人から連絡があり、びっくり。
『ルイジのジャズ・ダンス・テクニック』
日本ビクター。
日本語版監修。
ビデオディスク。TBSスタジオにて撮影。ルイジのジャズダンステクニック及び振付作品3曲。『Fairwelll my Love』, 『Brazil my Love』, 『Summer in 42』。
出演:ルイジ、フランシス、アンディ。
その時の模様は、『ジャズの女王物語』に記録してある。
この頃VHSやベータより新しい方式のディスクが開発されようとしていた。
一般人は、まだテープの時代だった。大変なことが起きてしまった。
ルイジが、お気に入りクイックのコンビネイション(マジックバードや、エポールマンなどの集大成)のためにビクターが持ってきた膨大な曲数の中から選んだ曲というのが、私が自分のLPのために選んだ曲と同じだった。
『愛でブラジル』!!ガーン。
というか、嬉しかった。どれだけ数が多くても、一番いいものは一つしかなくて、その一つを見きわめるセンスが同じだったということは、私の審美眼は、間違っていなかったのだ。
でも、他人が見たら、マリカは、ルイジのビデオディスクの選曲を真似していると思うだろう。
ノー、ノー、私が選んだのは、夏にビクター音楽産業との仕事として。
ルイジが選んだのは、翌年の3月。私の方が半年早い。
卒論でジャズ・ダンスやルイジを取り上げる方へ:
ジャズ・ダンスのことを研究テーマにして下さいまして、ありがとうございます。
卒論には情報量からして、『ジャズダンス誰が踊りをつないだか』が最適です。
提出し終わりましたら、テーマをご一報下さい。
日本ジャズダンス研究書一覧に掲載させていただきます。